コロナ情勢で感じること(振り返り)

今年1年は新型コロナウィルスの影響で地区行事、公民館行事、田んぼのイベント等も全て中止となりました。

地域内に笑い声や、人が集まる姿が見聞きできないのはとても残念なことでしたが一方で学びや気づきの多い1年となりました。

 

コロナウィルスへの考え方や捉え方は人それぞれ持ち合わせれば良いとして、僕個人の思いとしてはコロナを考える上で主語に「地域・相手」を置けるかどうかを第一に考えています。


「主語の置き方」

地方創生の先駆者と謳われる当町でも、視点を変えれば「地域や町民」があってこそ先駆者と言われる活動がなされるはずです。

僕個人も、地域の仕事をさせてもらっているので特にその思いは強く持ち合わせています。


高齢者や疾患を持つ方が多い地区で、あえて感染リスクを抱えてまで「会う」という行為がその瞬間に必要なのかどうかをこの1年ずっと考えてきました。


そして「会う」という行為を行う上で、どのような対応・考え方を持ち得ているのか
人の思いに触れる1年でもあったように感じます。


植田家では家族の健康を第一に考え、日頃お世話になっている師匠や地区の御近所さんに不安な思いをさせないよう不要不急の外出や接触は控えるようにしています。

 

仕事等でどうしても接触が必要な場合は、事前に身近な人に確認をとっておきます。


集落や会社においても、同じことをしてきました。

万が一、コロナに罹患しても責任が持てない行動は控えるようにしています。

 

この責任をどのように考えて、意識し、行動に移していくかをこの1年多くの方と言葉を交わしたように思えます。

 

僕は、言葉を濁すことが苦手なので率直に思うことを提示してしまうため、間違った解釈をされてしまい何人かは疎遠になってしまいましたが、それでも自分なりに地域と接する上で得た言葉を元に、自分自身が責任を持てる範囲の行動を行えてきたと考えています。

 

また、相手を考え、自分自身の行動や暮らしを自制することで今まで以上にコミュニケーションが密になった気がします(蜜というか深くなった?かな)


「実はのー、」というくだりで、本音を話してくれる方が増えてきた気がしています。


痛みの共有や、地域内でリスクを高めないための努力を一緒になって考え、言葉を交わしたことの積み重ねだと思っています。


師匠とも、9月以降一段とよく喋るようになり今まで感じなかった視点を勉強させてもらってます。言い換えれば、師匠が口に出せなかった本音を聞けてるような気がしてます。

 

仕事やそれぞれの家庭事情で県外や、イベント等の参加は避けられないのはよくわかります。


ならば、「〇〇さんと会いたいけど、また気持ちよく笑って会えるまでなるべく会わないようにするね。」とか、例えばテレビ電話で話をするとか、相手を気遣う行動はいくらでも取れると思います。

時に距離を取るという行為は、相手を思いやる上で最良な方法ではないでしょうか。

 

本当に大切な人への配慮がなされているならば、もっと考えて行動できることがあるはずです。

 

徳島県は幸いにも感染が広がっていません。

しかし、気の緩みや「大丈夫だろう」という安易な考えが蔓延しつつあるのも事実です。

 

大切な人が苦しまないように、自分たちに何ができるか。

その判断を、適時変化させていくのも今は正義な気がします。

(ドタキャンも、しょうがない判断だと考えています!)


この1年、相手を想う気持ちにどう寄り添えるかをとにかく考えてこれた貴重な時間でした。


今まで出会った人の中でも、今後一緒に歩み寄りたいと思える方やそうでない方も見え隠れし、色々と整理できました。

 

僕は、自分自身が神山町にお世話になっている感謝を忘れることなく、その大切な方たちに迷惑がかからないよう家族共々より賢明な判断が下せる日々過ごすことにしています。

そしてその判断に迷いが生じないように、一層身近な方々との時間を大切にしたいと思います。

エタノホ

エタノホ/くらしを耕す 「棚田とくらしがつながる」 日々、暮らしの積み重ねが棚田の風景を育む 江田で1組の夫婦と出会い学んだ大切な視点です。 美しい風景を守る上で私たちは ”この場所で暮らし、田を耕す”ことを選択しました。 お米づくりを中心とした農ある暮らしを実践し 未来に伝えたい棚田の風景を育んでいます。

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