田植えの前に振り返る

通称「神山塾」という職業訓練で江田集落に巡り合って7年目。

田んぼも2012年〜2016年まで勉強させてもらい見様見真似で向き合ってきました。


2017年から現体制(3人)となり2年が経ち、来年は形を変え僕らなりにできることを楽しもう!と話し合ってる最中です。


2016年までは前任者が”無農薬”を基準に栽培をしており、それになぞってきました。

「この集落の景色を受け継いでいく上でも、今までとは違う農の形を実践したいね」と仲間で議論し「無農薬でやってみよう!」と意気揚々にスタート。


しかし、慣行栽培を続けてきた集落の中で響くことは難しく「薬を撒かずにできるか」「収量落ちて何になる」「病気が蔓延したら責任取れるのか」など厳しいお言葉(助言)を頂きました。


概ね、おっしゃる通りです。


そこでくじけたり、気持ちが折れてしまったら何も変えられない。

無農薬栽培の可能性だけを信じて来る日も来る日も師匠の家に伺い、話を聞いたり、僕らの思いをお伝えしたり(いい迷惑だったと思います 笑)、伝えるって根気がいるなって当時痛感しました。


心のどこかで、願わくばこの場所が有機栽培の集落になって棚田の価値を広められれば…なんて淡い想いも込めていた時期もありました。


しかし、経験も知識もない想いだけの若造に突きつけられた現実は手厳しいもの。

病気にかかる、収量は激減する。
何も言い返せない結果に、唖然としたのは今でも忘れられません。


根本的に何が問題かも分からず。

とにかく課題を見出し次の年に活かそうと、集落のみなさんに聞き、本や資料を読みあさり。

問題点を一つ一つ勉強しました。


自然栽培で稲作をしている方に話を聞き、今一度本を舐め回すように読み漁り、課題を追求してみた。「3年目から収量が増えるよ。諦めたらダメだ。」という言葉を信じて

(1)苗づくり

(2)除草

(3)根の伸長

(4)しっかりと向き合う


このポイントに沿い、一つ一つ丁寧に行ったところ、収量も稲の状態も格段によくなってきました。

年々の気候変動にもよりますが、今では反収3.5俵(2反で約400kg程)まで回復。


何より、最初否定的だった師匠(や集落)も最近では「無農薬がお前たちのブランドじゃけんな」と

肯定的になったのが嬉しい瞬間でした。


年々、「過去一番じゃ!」と師匠の思いが応援に変わっていき僕らのやり甲斐に繋がっています。


大きな目標は大切です。


だけど、目標ありきで動くと足元にある大切な関係性や信頼が見えてるようで見きれていないようにも感じます。


風景を受け継ぐ、有機の集落にしたい。

この想いは抱きつつも、まずは無農薬でやる!と決めた自分たちの思いを集落の皆さんに感じてもらえるよう実践することが大切。

中途半端にやったら、中途半端な想いしか伝わらない。


今では毎日田んぼで稲を見ることが日課になっています。

収穫時に「今までで一番!」と毎年言えるよう、日々小さな努力を積み重ねています。


35歳になって、70歳まで稲作を続けるにもあと35回しかできません。


最後に食べるお米を家族みんなで「一番美味しい!」と言えるお米づくりを続けたいものです。




エタノホ

エタノホ/くらしを耕す 「棚田とくらしがつながる」 日々、暮らしの積み重ねが棚田の風景を育む 江田で1組の夫婦と出会い学んだ大切な視点です。 美しい風景を守る上で私たちは ”この場所で暮らし、田を耕す”ことを選択しました。 お米づくりを中心とした農ある暮らしを実践し 未来に伝えたい棚田の風景を育んでいます。

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