理を知る
例年より2ヶ月早いですが、江田集落の水路清掃を行いました。
本来は水路を開門する(5月)直前に行うのが定例でしたが、作業するメンバーの暮らしや仕事がバラバラなため予定を合わせにくく先手を打って早めの作業に徹します。
結果、この時期は作業がしやすかった為、来年以降も2月最終日曜日で固定します。
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さて、前回の日記にも田んぼに携わる上で一番大事なのが「水(水路)」とお話ししました。
田植えや稲刈りと言った部分的な作業だけだと体験することが難しい一面。
極端なことを言えば、水がないと稲は育ちません。そして、蛇口をひねれば水が出てくる訳でもありません。
棚田の水路は血管のごとく細い水路が幾つにも分岐していて、単に”水を流すだけ”には程遠い管理が必要です。閑散期には獣害による土砂の流入、水路の欠陥が多くみられ4月の準備期までに補修が必要。
各世帯が稲作に携わっていた時代こそ、集落総出で清掃に当たっていたはずですが…
近年ではこの清掃も2人程で行なっていたと聞いてます。重労働のため、70歳を過ぎた身体には負担が多いはず。
少し余談ですが、僕が水路を意識するキッカケになった出来事があります。
2012年の秋、田んぼに携わって1年目。
あまりに水が少なく、水路を辿り水門を探し当てました。
水門も全開ではなかったので不意に板を退けて水をたくさん入れてしました。
その1時間後、当時の大将が「勝手に水路を触るな!」と激怒し1時間ほどこっ酷く怒られ、思い出として残っています。
その時は、怒られた意味が全くわかりませんでした。
「水を入れて何が悪い」と逆に憤慨したぐらいです。
それでも年々携わると、集落(稲作に携わる人)にとって水はかけがえのない財産だと気づき少し大げさかもしれないけど、強ち間違いでもないはず。
また、水路は川の水をお借りして田んぼに引いています。
人間本位で水を入れるのではなく使わせていただく水と、川に戻す水を分けて考えていることに驚かされたのを覚えています。
100%稲作に使わない。
そんな”財産”を何も知らない若者が「もっと多く水を入れたい」なんて自己中心的な考えのもと開門してしまったら、集落のお父さんも怒りたくなる気持ちがとても良くわかりました。
「移住者は水路に関わらないで。」
悪い気持ちは決してないと思う中でもこの言葉は僕にとって深く胸に刺さる言葉です。
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それから5年経った今日。
12人の移住者が江田集落の水路を掃除しました。
「水を流すために水路を清掃する」
この”作業”はとても大切なことだと思いますが
「水を流すことで守られる風景」
「共有財産を分かち合う気持ち」
この”理”こそ水路清掃から感じ、一人一人が学んでいく大きな意義になると思っています。
しんどい作業をみんなでやるのではなく
しんどくとも楽しい作業をみんなで分かち合う。
江田集落では、そんな時間を大切にしてここでしかできない”棚田の暮らし”を繋いで行けたらいいな。
誰一人怪我なく終われたことに感謝して、今年の第一歩を踏み出せました。
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